☆Roundの記録は→→→こちら☆☆AustraliaでのWorking Holiday11か月のSummary☆-----2006年4月-----【住まい】
4/16に入国。
MelbourneのCityから電車で20分ほどのCamberwellにてHomestay。
5LDDK+2bath room+Gardenの広い家で
60代夫婦Joan&Michael+30歳独身息子Myles+私+猫の生活。
夫婦は優しく、居心地もよく、Own bath roomで快適だった。
【生活】
Melbourneの街を探索しまくって、生活に必要なことを覚えたり、
ケータイを買ったり、銀行口座を開いたり。
ひっさびさに学生に戻りたかったのと、友達もほしかったのとで、
Cityにある語学学校に通い始める。
-----2006年5月-----【住まい】
最初、2週間だけの予定だったが、快適だったので延長してもらい、
変わらずCamberwellにてHomestayしながら、Shareを探し始めた。
【生活】
最高に"オモロー!!!"なくらすめーととの、ゆっるぅぅぅい学生生活。
生活にも慣れ、授業も楽しく、週末には何かと理由をつけて誰かの家に
食べ物とやアルコールを持ち寄り、(健全な)Partyしてた。
5月後半、Cityにある会社の面接を受けるために、学校で通常の授業のあとに
Extraを払って数時間、面接対策みたいなのをしてもらった。
日本で働いていた会社と関係のある会社だけど完全な別法人。
上司が事前に推薦状を書いてくれていて超すむーずに面接までこぎつけたものの、
いざ本当に面接となると、現地のofficeを尋ねるというのは初めてなので相当緊張。
英語、わかんないよー状態で、あっという間に終了。絶対に落ちたと思った。
・・・が、とりあえず6月から2週間のtrialで雇ってくれるという超寛大な返事にこっちがびっくり。
WHでこんなに簡単にまともな仕事がみつかること自体、普通じゃないけど、
今まで自分がやらせてもらえてきたこととか、助けてくれてる人とか、
運とか、タイミングとか、心のひろーいOZとか、全てに感謝。
-----2006年6月-----【住まい】
Netでみつけ、見に行ってお互いの合意で決まったCity内のShareに移る。
この時は、とにかく仕事に便利なようにと、少々高くてもCityで探していた。
元の"port authority building"がまんしょんに改造された、
hotelのようなすんごく重厚で立派な建物。
Singapore人男性ErnestとIndonesia人女性Dennyの20代CoupleがOwnerで、
そのCoupleが1部屋、私が1部屋でのShare。
向こうはまったく干渉しない主義で生活も昼夜逆転typeだったので、
顔を合わせることがあまりなかった。
今までのHomestayでの人の温かさとのGAPが大きく、さらに冬で部屋がめちゃ寒い。
暗くて広くて寒いまんしょんに1人帰って誰とも会話しないことに慣れなかったし、
異常なまでの潔癖症&気分の上下の激しいDennyと相性が合わないこともあり、
とてもキレイなまんしょんだけど「快適」のひとことでは済まされないものがあった。
やっぱり、住んでみないとわからないことも多い。
【生活】
学校を卒業し、2週間のTrialの仕事がStart。
OZ worldの中に、英語があんまり話せない日本人がポツンと1人。
最初、何人かに紹介されるも、あいさつで精一杯で全員の名前も覚えられない始末。
自意識過剰だけどやっぱり最初数日はすれ違う人すれ違う人みんなから
「この子は誰?」的な注目を浴びたような気がしたし、居心地悪かった。
仕事は、私の英会話力のなさを見込んで(笑)、
電話対応なしの"Non-verval"なものを与えてもらえた。
全部が英語ながらも、日本でやったことのある仕事の延長だったのと、
読み書きはわりとイケるのと、Systemの簡単さも手伝って、
わりとすむーずにこなし始めることができた。
わからないところをTeamのmemberに聞いたりするうちに、少しずつ会話も生まれ、
2週間終わる頃には、とりあえず与えられたものはギリこなせる程度になっていた。
でも、やっぱり英語に難ありで、延長はないだろうなと思っていた。
・・・が、らっきーなことに、契約を延長してくれるとのことで、(よっぽど人不足だったのかも)
当時のWH Visaのregulationであった3ヶ月、働けることになった。
-----2006年7月-----【住まい】
Shareownerの妹が急遽このまんしょんに引っ越したいとのことで、
2週間後までに出てくれないかと突如言われる。
すごい突然で腹も立ったが、もともと「とても快適」とは呼べない環境だったので、
実はこれっていい機会かもと思い、気持ちを入れ替えて探し始める。
(もともと最低3ヶ月は住んでくれと言われていたので、
自分から2ヶ月で「もう出る」とは言いづらかったし)
色々探し、CityからTramで15分ほどのNorth Carltonにある2LDKの一軒家に決まり引っ越す。
Ownerは50代Australia人独身女性、Nadia。
もともとはUkraine(ウクライナ)出身なので、ろしあ語も話す。
ちなみに、この文章だけではとっても簡単に住まいが決まっているように
受け取られるかも知れないが、実際はそんなことはなく、
アポとれなかったり、見に行っても断られたり、かなり苦労して探した。
【生活】
仕事は順調。08:30-17:30のOL生活。
ほぼ1日中、私が静かにMachineのようにsystemで作業をこなしている横で、
OZたちは私と同じ仕事に加えて電話にも追われ、わいわいがやがや。
そんな状況の中でも、電話に出ないことになっている私に文句を言う人など全くいなく、
Teamの人達は本当にみんなFriendlyで、いろいろと助けてくれた。
英語がうまく話せなくても、話すこと以外でちゃんとやっている実績が数字で出てくると、
だんだん認めてもらえるようになるものなのだと実感した。
しかし、さすがに終日100%OZな環境に脳みそが疲れ、
Lunchは必ず1人で外に出て、じゃぱれすで和食を食べていた。
日本から友達が遊びに来るのに合わせてGoldCoastへ3泊4日の旅行。
-----2006年8月-----【住まい】
変わらずNorth CarltonのShare。
この家は、前のまんしょんと違い、Nadiaが暖房好きなため、暖かい。部屋もきれいで快適。
しかし、Nadiaはすごくいい人なのだけど、男とうまくいっていないと
心がかなり不安定になるという性格で、それに振り回されてけっこう迷惑した。
以前、私の部屋に住んでいたことがあるという人(日本人)が、
Nadiaを尋ねて遊びにきた時に話をしたら、
彼女も以前、それが原因でここから引っ越したとのことだった。
Nadia、普段はすごく親切でいい人なだけに、この気性の荒さはちょっともったいない。
【生活】
引き続き、仕事。
最初はあんなにキョドっていたのに、この頃にはもう、快適な職場そのものになっていた。
Key boardのこーどを抜いたり、Mouseを隠したり、
coffeeに大量に砂糖を入れられたり、Pet bottleのふたをてーぷでぐるぐる巻きにされたり、
そんなくだらなすぎる遊びに巻き込まれるようになったのが、馴染んできた証拠だった。
6月の最初に出た頃は、何の話題なのかほぼ意味不明だったMeetingも、
この頃には、とりあえず何が問題でどうしようとしているのか、
内容はほぼわかるようになっていた。
-----2006年9月-----【住まい】
9月上旬まで変わらずNorth CarltonのShare。
9月中旬からRoundに出て、いつRoundを終えるのか、
その後のWH生活どこでどうするかも全く未定だったので、
Round出発と同時にShareを出て、Roundに不要な荷物は
友達の家で預かってもらい、家なき子となる。
【生活】
9月上旬、3ヶ月の契約が終わり、仕事終了。
Farewell Dinnerまでやってもらって、盛大に送り出してもらう。
9月中旬からRoundに出る。
Roundの記録は→→→こちら。-----2006年10月-----【住まい】
10月下旬までRound中。家なき子。
Roundを終えてMelbourneに戻り、CityのBackpackerに1週間ほど滞在。
CityからTramで25分ほどのArmadaleに新しいShareを見つけて決まるが、
その部屋が空く日までまだ2週間ほどあるので、
それまでは最初に滞在させてもらったCamberwellのHomestayに再度おいてもらうことになる。
【生活】
Round中。もう一生できないような最高の旅。
西海岸のBroomeに滞在中、「この旅が終わったらどうしようか」と考えていたら、
「旅が終わったらまた働かないか」とMelbourneの元の職場から声がかかる。
たいみんぐ良すぎることに、夏に向けて相当忙しくなってきたらしく人不足だという。
この時、WHのregulationが変更になって、
同じ雇用主の下で6ヶ月まで働いてOKということになっていたので、
会社としても問題なく、旅が終わったらMelbourneに戻ってまた働くことになった。
Farewell Dinnerまで開いて送り出してくれたMemberと、また一緒に働くことになった。
-----2006年11月-----【住まい】
Cityから南東へTramで25分ほどのArmadaleのShareに入る。
閑静な高級住宅街の2LDKのflatで、Indonesia人男性のDavidとの2人暮らし。
最高の環境、最高のSharemate、最高の居心地の良さで、とても快適な住まい。
【生活】
仕事は順調。慣れためんばーに囲まれて普通に会社員としてお給料もらって
OZ worldで働けることの幸せを感じつつ、相変わらず英語には苦しんでいた。
-----2006年12月-----【住まい】
変わらずArmadaleでShare。快適快適。
【生活】
仕事は順調。週末、会社のOZ3人に誘われ、4人で2泊3日のTasmania旅行。
その後、City内で、Officeが引っ越す。
Flinders st.沿いから、La Trobe st.沿いへ。新しいOfficeで気分一新。
家と会社の往復だけの日々に退屈を感じ、英語ももう少し延ばしたいと、
City内でEvening classのある学校を探して申し込んだ。
06:30起床→07:15出発→08:00-17:00仕事→17:30-20:30学校→21:30帰宅という日々になる。
この生活はかなりしんどかったけど充実してた。
なんと言っても、学校が1日3時間、平日5日で週$150という破格な値段で、
Classに生徒が多い日で4人、少ない日は私1人しかいないという、ものすごいお得な環境。
しかも、講師が超professionalで、内容がそこらへんの語学学校と比べ、ものすごく濃かった。
ChristmasはSharemateのDavidの友達の家でAsian Party。
年越しは同じくSharemateのDavidとYarra riverの花火を見に行く。
-----2007年1月-----【住まい】
変わらずArmadaleでShare。もう快適すぎて快適すぎて。
【生活】
仕事と学校の忙しい日々。なのに英語は相変わらず。
友達と3泊4日、Sunshine Coast→Gold Coastの旅行へ。
-----2007年2月-----【住まい】
2月上旬の仕事終了まで変わらずArmadaleでShare。
2月中旬から3月は、
「NZのRound→Sydney→Melbourneに戻って数日滞在→日本へ帰国」という予定のため、
Netに出した広告を見てやってきてくれた美容師のMikaちゃんに部屋を譲る。
Mikaちゃんに頼んで不要な荷物だけ部屋に残させてもらい、Shareを出る。
NZではMotelやYHAに泊まりながらRound。
Sydneyでは最初3泊ほどYHA、その後3週間、Cityから電車で北へ30分のKiraraという町の
HomestayをNetで探し、滞在させてもらった。
6LLDK+Garden+Poolに、40代の母親+20代の息子+10歳前後の娘という母子家庭に私。
家は巨大で快適だったけど、料理がいまいち&駅から遠くて大変だった。
【生活】
2月上旬にMelbourneでの仕事終了。結局、通算6ヶ月、ものすごくいい経験だった。
仕事終了の次の日からNew Zealandの南島を約2週間Round。
その後、Sydneyに入る。Sydneyではうわさの"StevenのTOEIC"に2週間通った。
-----2007年3月-----【住まい】
3月上旬は変わらずSydneyのKiraraという町でhomestay。
Melbourneに戻ってから日本に帰国するまでの1週間弱は、
荷物を置いていたArmadaleのShareに泊めてもらった。3/15に日本に帰国。
【生活】
Sydneyでは世界最大のGay&LesbianのぱれーどMardi Grasも見られた。
"StevenのTOEIC"は、日本人の間であまりに有名だったので帰国前にどんなもんかと
けっこう興味半分で受けてみたが、払ったお金の価値は十分にあったと思う。
結果、900点台に乗ったものの、自分の実際の英語力と点数のGAPを
1番知っているのは誰でもない、自分自身なので、そのGAPに悲しくもなったりする。
日本と韓国以外ではほぼ名前すら知られていないTestだし、点数そのものよりも、
そこに至る過程で教えてもらったこと、学んだことのほうが
自分にとっては100倍意味があると思う。
満喫しすぎなくらい盛りだくさんな1年で、大満足。
本当に行ってよかった。
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